新恐竜を見た。
人よりちょっとは詳しい旧ドラも新ドラも好きな30歳のひとりごと。
見終わったときの感情を言うならば
「怖い、悲しい」
につきた。
その消化しきれなかった思いをようやくポジティブに消化できたので駄文を散らします。
ネタバレ満載なので、まだ見てない人は気をつけてください。
概要
偶然見つけた新種の恐竜の卵を孵し、育てたのび太。
キューとミューの幸せのため、仲間のいる6,600万年前の白亜紀へと旅立つ。
苦難を乗り越え仲間を見つけるも、この日はまさに恐竜たちを絶滅へと追いやった隕石衝突の日。
何とか、隕石衝突を回避しようとするが、歴史を変えられないからと、タイムパトロールに制止されるのび太。
誰も、隕石の衝突は止められない。
そんな中、キューは最後の最後で、鳥類のような羽ばたきができるような進化を遂げ、隕石による絶滅を退ける。
また、のび太たちはジオラマとチョークで、救える恐竜たちを救い出し、隕石衝突後の荒廃した世界に唯一光さす場所として残し、キューとミューに別れを告げる。
感想・レビュー
見終わった直後の感情、「怖い、悲しい」をより詳しく言うならば
「これでいいのか?」
「他の恐竜たちは?ピー助は?こんな終わり方でいいのか?」
だった。
荒廃した世界、氷に閉ざされる未来を待つのみの世界に、彼らを残すという選択でいいのか。
「魔界大冒険」ならもしもボックスで作られたパラレルワールドだとしても、こんな終わり方でいい訳がないと魔界へ旅立つし、「夢幻三剣士」なら気ままに夢見る機で作られた夢世界だとしても、残されたユミルメの人たちを救いに妖霊大帝に挑む。
のび太くんなら破滅の未来に彼らを残さない、恒久的なハッピーエンドを目指すはずなんだ。
なのに、こんなその場しのぎでいいのか。
「鉄人兵団」なら、日本にいる兵団を倒しただけで終えるような不完全感。世界中の兵団が襲来する未来が分かっているのに。
「日本誕生」なら、クラヤミ族からククルの集落を救っただけのような。まだ、ギガゾンビはいるのに。
根本からの解決にはなっていないのではないか。
残されたピー助や他の恐竜たちはどうなる。
「怖い」
そう思った。
そんな現実を受け入れられず、隕石衝突を回避しようとしたのび太くんにドラえもんは一言、こう言った。
「これがルールなんだよ。」
ルール。
そうか、ルールか。
その一言で納得しなければいけないことが悲しかった。
何か絶対悪がいれば、そいつを倒すのに。
今回は、そういう敵がいない。
変えられない未来しかない。
それが、ただ悲しかった。
避難できる恐竜たちを連れてきても
ピー助が隕石を退け生き延びたとしても
この子たちは…すぐ。
映画がハッピーエンドの体をなしても、その事実がとても怖く、悲しかった。
恐竜たちを救うあの行動に意味はあったのか。
恐竜が隕石で滅びたという通説を覆す異説が欲しかった。
エンドロールを見ながら、泣き出しそうな気持ちになっていました。
前置きが長くなりました。
それからもんもんと考え、何とか自分なりに納得しましたので、私なりの解釈を書き散らします。
本編を通して「あきらめない」がテーマにありました。
何をやってもダメダメののび太くんとキュー。
ほかの仲間が滑空し空を飛ぶ中、うまく飛べず手をばたばたしては落下するキューに
「そんな風にみんなやってないよ」というのび太くん。
(そう言うのび太くんも足をばたばたしながらさかあがりをしようとしていましたね)
ぶつかり合ってけんかして、あきらめかけて。
それでも最後まであきらめずに。
そして、大空を羽ばたけるようになり、鳥類への起源となりえたわけです。(実際にそうなったのかはわかりませんが、タイムパトロールをしてそう言わせしめました。)
それは、キューのあきらめない心で変えられた未来です。
それでも、隕石衝突は回避できない。
これは、「未来には、変えられない未来と変えられる未来がある。」ということを示していると思います。
「未来の国からはるばると」では、セワシくんが生まれるという未来を交通手段で例えられていました。どんな手段で未来に向かっても将来セワシくんが生まれると。
これは過程がどうであれ、変えられない(変わらない)未来。だけど、その未来の在り方はその過程によって変わる。だからドラえもんはセワシくんに頼まれて、より良い未来にするために一番できの悪いご先祖であるのび太くんのもとに来たのでした。
今回で言えば「隕石衝突は変えられない未来でも、キュー達の進化は変えられる未来。」
のび太くんたちは咄嗟にそのことを理解して、今できる最善を尽くそうとしたのかもしれません。だからこそ、キュー達の進化へとたどり着けた。
隕石衝突が避けられなくても、少しでも未来につながることをやろう、と。
ルールの中で最後まで、あきらめず。
残されたピー助や他の恐竜たちの運命はどうなるでしょうか。
この映画がなければピー助が白亜紀に返されて、その後ピー助(フタバスズキリュウという種族)はどうなるのか、それは恐竜の滅亡と照らし合わせれば分かりきっていたことです。
それが改めて、示されたのはショックなことかもしれませんが、この映画では他の可能性が示されました。
それが、あきらめなければ変えられる未来の可能性です。
変えられない未来に至るまでの過程は変えられる、ということです。
今回のそれは、タイムパトロールでさえ知りえない事実でした。
これがなければ、ピー助は歴史のとおりに隕石によって…。それを覆す未来を示したのはむしろ、残酷な未来に目を背けていた私に事実を認識させ、さらに希望を持たせるものだったと思います。
「未来はこれからの僕たちの頑張りによって変えられる。」と、「雲の王国」でドラえもんも言っていました。
「残されたピー助や他の恐竜たち」の変えられない未来である「恐竜の滅亡」も、キュー達のように別の種族への進化を伴う、「恐竜としての生き方の滅亡」なのかもしれません。そうであってほしいと思いました。
コメント
希望があるとしたら竜の騎士のリメイクですかね。紋章が首長竜っぽかったし